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アクセスしかし、忠義公よりさらに昔、長宗我部時代に作られた「長宗我部地検帳」にこのカンヂの神田でお祭りが行なわれるという記述があるため、実際はもっと古くからあったお祭りを、山内氏の時代に追認したのではないかと思われます。いずれにしろ、藩政時代には泥塗りに対して、土佐藩の特別のお取り計らいがあったことがうかがわれます。
4月の第一土曜日から3日間、地元長浜地区を中心に浴衣姿の女性が繰り出し泥塗りがおこなわれ、塗られた男性は夏病みしないという言い伝えがあり、お礼を言うのが習わしです。
元親公のご命日に近い5月の第2日曜日に、銅像前広場で公をはじめとする一族の慰霊祭と、里内の安泰を祈る初陣祭が行なわれます。公が初陣したのが5月26日、亡くなったのが5月19日、盛親公が斬殺され一族の跡が絶えたのも5月15日と、なぜかこの一族にとって5月というのは特別な月のように思われます。祭典の後で四電工さんのご協力を得、銅像を洗うのが毎年の習わしになっています。
高知県内では「輪抜け様」と呼ばれ、地域の方々に親しまれています。社頭に設けられた大きな茅の輪をくぐって人形で身体をさすり、今年の上半期に身についた罪や穢れを洗い落とし、下半期に臨むしっかりとした心構えを養います。このお祭りでは、当日だけの特別な茅の輪守りや運が開ける輪などが社務所で授与されます。