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アクセス平成20年08月30日
四百二十年の怨念をこえて
先日『仁尾八朔人形まつり』実行委員長の管 善明さん、企画部長の前川宏人さんが当神社に来社されました。管さんと当社の宮司は10年ほど前から親交があり、最近の人形まつりの話やポスターを頂戴しました。
香川県三豊市にある仁尾町では、3月3日にひな祭りをしないのが伝統になっているそうで、旧暦の8月1日に、『八朔まつり』として子供たちの成長をお祝いしてきたそうです。その理由とは…
いまを遡る420余年のむかし、旧仁尾城は土佐の長宗我部軍に包囲され、天正7年、城主細川頼弘公以下一族郎党ことごとく討ち死にして果てました。これがちょうど桃の節句その日で、以来もとの領民たちはこの悲劇的な最期を悼み、お節句は3月3日に行わなくなったそうです。
この『八朔まつり』、昭和30年頃には途絶えていましたが、町おこしの一環で商工会が中心となり平成10年に『仁尾八朔人形まつり』として復興されました。
そうした折、『八朔まつり』の担当者より、「長宗我部氏に滅ぼされてからもう420年も経ったことだし末裔の方と和解をしたい」との問い合わせがあり当社の宮司が仲介人となり、松山市の伊豫豆比古命神社(椿神社)の長宗我部延昭宮司をご紹介し、頼弘公の420年遠忌墓前祭に参列いたしました。
今から10年近く前の出来事です。
『人形まつり』も今年で11回目だそうで、家の座敷や店舗に舞台を設け歴史上の物語やお伽噺の名場面を再現するという、全国的にも珍しい独特な人形飾りが話題をよび、回を重ねるごとに賑わいを増しているそうです。
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仁尾町で「先の戦」というと、長宗我部軍によって仁尾城が落城した時のことをさすそうです。何事にも光と影、陰と陽があり、それは今までの歴史にも言えることで、長宗我部氏が四国統一したと一言で言ってもその陰には、滅ぼされた集落、城、国がもちろんあり、その怨みは代々受け継がれてゆきます。
今回お二人が来社されたことで、このような悲劇的な歴史が各地域にはたくさん残っているということを再認識し、立場上ただ長宗我部氏を盛り上げるだけではなく、地方風土記を知ることも大事であると感じました。
『仁尾八朔人形まつり』 今年は9月13日(土)から3日間行われる予定です。
讃岐の地での戦に思いを馳せてみてはいかがでしょう?
お問い合わせは三豊市商工会仁尾支所まで